こんばんは。
今回の担当は、昨日までブログ担当であることを失念していた六華です。
テーマに困ってしまったので、
今回は前回に引き続いて壁の落書きについて書こうと思います。ゴメス。
筆者は落書きや壁紙が好きなので、
自分の住んだことのある部屋や棟の廊下を夜な夜な歩いては写真を撮ってコレクションしています。
落書きとその書かれた背景を考えると結構面白いですよ。
今回も幾つかを紹介してみます。
①まずはオーソドックスにこれ。
こういう落書きが意外と多い。筆者も卒寮の時にはこのような心情になるのかなぁ。
テレビ等では変な空間のようによく報道されていますし、
実際に現代にはそぐわない部分が多く残っている寮ですが、
だからこそ貴重な経験や出会いができるので入寮してよかったと思っています。
まあ、大変なこともあるんですけどね笑。
やっぱり衣食住を共にすると良くも悪くも仲が良くなりますね。
②これは前回紹介した金箔部屋の廊下の別バージョンです。
風神雷神の絵が描かれてます。前回も言いましたがクオリティーがすごい。
③これは筆者の個人的に好きな落書きの一つです。
頼りなさそうな筆圧の鉛筆で書かれているのが、
書いている人の心情を投影しているようで好みです。
書き手の耐えがたき日とはどんな日だったのでしょうか?
余談ですが、筆者は湘南鎌倉出身で浪人も人並み以上にはしてきたので、
耐えがたき日があったときは、その日の夕方にふらっと海岸に行って
気が済むまで海を眺めたものです…。
懐かしくつらい思い出です笑。
北大もいいですが湘南の夕日も見てみてください。きれいです。
↑七里が浜から見た夕日と江の島。冬の時期空気が澄んでいると富士もはっきり見える。
④次は右を感じるフォントのビラ。
ものすごくざっくり、かつアバウトに当時の状況を説明します。
現在の恵迪寮が出来た当初、寮の事務は北大の事務員が事務室に駐在して行われ、寮生は基本的に立ち入れませんでした。
これまで長らく寮の運営をやってきた当時の寮生たちはこの状況に猛反発した結果、大学当局と揉めごとになってしまいました。
このビラの詳細は分かりませんでしたが、そのころに出されたものだと推測されます。
この問題は30年以上前の話なので、こんな紙っぺらが今もきれいに残っていることに感動です。
因みに、その後は寮生と大学との話し合いで事務室が寮生に渡され、現在まで寮運営は寮生主体で維持されています。
昔の寮生の自治に対する熱き想いには感服します。
⑤こまくさ寮からの挑戦状
94年なのでだいぶ前ですね。
果たして彼らは本当に恵迪寮に再寮したのでしょうかねえ。
調べたところ、こまくさ寮は現在も信州大学に健在で、同大学で最も大規模な寮のようです。
因みに、当時恵迪寮の飲酒はかなり荒れていて、翌年に急性アルコール中毒で一人の寮生が亡くなってしまいました。
これを契機に恵迪寮は飲酒事故防止対策特別委員会を発足させ、
同委員会による危険な飲みに対して厳しく取り締まる体制が作られ、現在も存続し続けています。
現代の恵迪寮で危険な飲みや強要をした場合は、寮生集会にかけられて厳しく非難する体制になっています。
その甲斐あってか、現在の恵迪寮では危険な飲酒をする人は殆どいません。
実は筆者もこの委員会に一年生の時から7期連続で入っています。
当時の記録を読んでいると、一升瓶を飲み干す速さを競う競技があったりと、
とんでもない文化があったのだなあとしみじみ思います。
お酒はおいしいものをちょびちょび飲むのが個人的に好きです。
⑥続きまして1995年の恵迪寮生にナンパされた女性が書いた書き込み。
これが書かれたのが筆者が生まれる一年前なんて考えられませんね…。
27年も前の記録?が目の前に残っていることに何となく感動します。
余談:最近の落書きについて。
筆者はこういう落書きや張り紙に好意的ですが、寮生は300人もいるので不快に思う人も当然います。
そのため1,2年前に一時、寮内の張り紙をはがしてきれいにしようとする動きがありました。
(無理やりはがしたら剥がしたで汚いと思うけどなぁ…笑)
↑はがされたビラ。
↑何もない壁と「ビラどこ行った??」の落書き
寮内には様々な方がいるし、
一般的に落書きや張り紙は良くない行為なのでその意見も最もな事です。
でも何なんだろう、やっぱりビラや落書きが沢山ある壁の方が落ち着くというか、
何千人という寮生が過ごした同じ空間で自分は生きているという感覚が味わえるというか。
ビラがはがされた後に残る何もない壁はなんだかもの寂しく感じます。
慣れてしまったせいなのか、純粋に好きなのかは自分でもわかりませんが。
まあ、卒寮時にその答えが分かると信じてます笑。
今回はこの辺で。ばーい。